一級建築士事務所 エイチ・アーキテクツ

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2013年

スケートリンク

スケート全日本選手権大会のチケットを頂いて見に行きました。オリンピック出場選考でもあり、真剣勝負の白熱した滑りが素晴らしい!テレビ観戦は解説もあり細部まで楽しめますが、ライブでの観戦は自分の五感を通しての体験でまた違った感動がありました。

公式国際試合でさえも、スケートリンクは室内競技場での仮設が一般的です。実はスケートリンク設置は比較的簡単で、海外の商業施設計画では初期投資の少ないエンターテイメント施設として度々企画されます。ロックフェラーセンターのスケートリンクは冬の風物詩として有名ですが、その歴史は建物創建当初の1936年までさかのぼるそうです。また、最近ではドバイのような暑い国の商業施設でも、石油での火力発電コストが低いためかスケートリンクが設置され人気があります。享楽的なエネルギーの浪費は決してエコではありませんが…

スケートリンク

 

 

 

 

 

 

半袖&ランニング姿のスケーター@ドバイ商業施設

モンステラとミッドセンチュリー家具

開業のお祝いに頂いたモンステラが一年で3倍程度の大きさに成長しました。熱帯アメリカ原産の観葉植物で、英語のモンスター(怪物)と語源を同じくするように葉の形が奇怪で独特です。

本家アメリカでは1950年代頃から観葉植物として普及し、いわゆるミッドセンチュリー(1950~70年代)家具のインテリアによく登場することでも有名です。ジョージ・ネルソンやイームズ夫妻のモダンデザインは当時奇抜で新しく、それまでの観葉植物とは趣の異なるモンステラの新奇性がマッチしたのではないでしょうか?

50年経った今でもミッドセンチュリー家具は人気があり、モンステラもよく見かける観葉植物となっています。新しいものが次々と現れる中で古典として生き残ったのは「標準化しない魅力的な個性」があったからだと思います。

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古びないスヌーピー

昔、子供の頃にNHKで放送されたスヌーピーをよく見ました。セリフが長く、話はよくわからなかったのですが、スヌーピーのしぐさが愛らしくてファンになりました。六本木で開催中のスヌーピー展に子供を連れて行ったところ、子供も大好きとのこと。自分の子供なので自分と好みが似ているのは当たり前かもしれませんが、いつまでも古びないスヌーピーの魅力に感心しました。

スヌーピーが登場する「ピーナッツ」の新聞連載は1950年に始まり、1960年代初頭にはほぼ後の完成形へと至っています。連載当初の「ピーナッツ」は丁寧に描かれていて、背景もより具体的に当時のアメリカの街並みや文化を描写しています。そのためか、初期の作品は幾分古臭さを感じるのですが、段々と背景が省略されて人物(と犬)のみを抽象化して描くスタイルへと変化します。芝生と低木がある屋外の場面がほとんどで、子供たち以外の大人は登場せず声のみで表現されます。話題も「生き方」や自分自身の「存在」について問うような根源的で難しい内容が多くなります。

この「抽象化」と、時代を超越した「哲学的ストーリー」が50年以上も古びない理由なのでしょうか?いや、何よりスヌーピーの卓越したキャラクターデザインにつきるのかもしれません…

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ブリコラージュ

娘のレゴ作品で「屋台芝刈り機」。屋台でありながら芝刈り機でもあるらしい…売れないときは芝刈りをするそうです。何と合理的(?)な発想でしょう!

大人だと思いもつかない子供のブリコラージュ(身近なものの寄せ集め)がいつも新鮮で刺激的!

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神宮外苑の軸線状プロムナード

週末、銀杏祭りで賑わう神宮外苑へ行きました。絵画館の展示を拝見した際に、戦前の絵画館周辺の写真を見て、銀杏並木の存在理由が初めてわかりました。絵画館前の軟式球場は、戦前は銀杏並木から絵画館まで一直線に通じるプロムナードを含む西洋式庭園だったのです。

戦後、絵画館は進駐米軍に接収され、西洋式庭園は球技場に変わったそうです。背景には天皇の威信を弱める米軍の意図があったのかもしれません。絵画館と銀杏並木の今より魅力的な風景が無くなったのは非常に残念です。現在の外苑には軟式球場を含め3つの球場があります。昔は野球が圧倒的な人気で競技人口も多かったかもしれませんが、現在はスポーツも多様化しています。軟式球場を西洋式庭園に戻して、軸線状プロムナードを復活することはできないでしょうか?

東京オリンピックの準備で、隣の国立競技場建替えについて様々な議論があります。競技場建物の検討に加え、本来の神宮外苑の在り方が見直され、整備されることを期待しております。

東京駅とシンデレラ城

丸の内東京駅周辺を歩くと、今でも東京駅舎を写真に収めている人が多く見られます。辰野金吾先生設計で1914年に完成した「中央停車場」を再現した外観は圧倒的な迫力です。19~20世紀のイギリス建築家ノーマン・ショウの影響を受けたと言われる赤と白の煉瓦の組合せは素朴さも感じられ日本人に受け入れられ易いのでしょう。同様の外観と平面の広がりをもつ建物は辺りに無く、そこにかつてそのように建っていたという歴史的事実が無ければ異様な存在とも言えます。

ライトアップされた東京駅を眺めていると、失礼ながらディズニーランドのシンデレラ城を思い出しました。シンデレラ城は15~16世紀のフランス古城をモデルにつくられたそうです。シンデレラ城の演出された歴史性と大きなスケールは、周辺の近代的なアトラクションとは対照的です。東京ディズニーランド30年の歴史の中で、10~20年で姿を消したアトラクションもありますが、シンデレラ城はディスニーランドの中心で「ランドマーク」として存在し続けることでしょう。

復元された東京駅では第二次大戦で焼失したドーム屋根が復活しました。南北の大きなドームの間には小さな尖塔状のドームも多数あります。一つの建物にドームが多いのも辰野建築の特徴でした。シンデレラ城には29本の塔があります。他のディズニープリンセスのお城よりも塔の数が多くシンボリックなのだそうです。やはり、両者は似ているか??

カーデザイン VS 建築デザイン

今月下旬から東京とロサンジェルスでモーターショーがあります。車の流線形デザインを見ると建築の形は何と保守的なのだろうかとよく思います。車は風を切って走るので流線形であることは合理的です。地面に根を張って微動だにしない建築が流線形であると「未来的なデザイン」とか言われて、今は良く見えても近い将来陳腐化する可能性が高いのです。

建築は動かず街とつながっています。街の中に建築があり、建築が街を構成します。建築には「場所性」があり、街と呼応する形になることが多いのです。一方、車は移動して、いつどこにあるかわかりません。車の形は置かれている周囲とは無関係で、一般に自己完結した左右対称形です。

車の寿命は10年10万キロと一般に言われています。海外でも15年30万キロが限界だそうです。一方、日本の建築は平均寿命が40年、さらに欧米並みの100年まで伸ばそうとしています。建築に使用する材料や風雪に耐えるディテールは当然車のそれとは異なります。

また、車は大量生産品ですが、建築は一品生産です。複雑な形は当然コストアップとなり、大量生産によって吸収できるカーデザインの初期投資も、建築一棟ではまかないきれません。市場に流通している大量生産品である建築材料も、複雑な形態をつくるのには適していません。

建築には豊かな移動できるインテリアがあります。庇や軒下といった外と内の中間的な空間もあって、それが建築の曖昧な輪郭線として表現されます。車にもインテリアはありますが、外と内は完全に分かれて、外形は彫刻のようにはっきりと表現されています。

カーデザインと建築デザインは異質のものです。建築を車のようにはデザインするのは難しい。でも、そこが面白いのかもしれません。

置き去りの郊外商業施設周辺

週末青山から表参道まで歩いて買い物をしました。毎年恒例のデザインイベントのせいか人通りが多く、歩いていて気持ちの良い秋の一日でした。次の日、郊外の大型店へ行くとこちらも大変な賑わい。ところが大きな違いは、モールや大型店内のヴァーチャル(仮想)都市的な施設内にほとんどの人が居て、周辺のリアル(現実)な通りを歩いている人は非常に少ないということです。

青山通り、表参道というリアルな通りは、人がたくさん歩くことによって注目され、通りそのものがますます魅力を増していくことでしょう。一方、郊外商業施設周辺のリアルな通りは閑散として、このまま置き去りにされていくのでしょうか?或いは、ヴァーチャルな都市の広がりで周辺のリアルな都市も注目される時が来るのでしょうか?対照的な二つの街を歩いて考えさせられました。

100年住宅 20年設備

新聞で大手設備メーカーの営業利益が大幅に伸びているという記事が掲載されていました。消費税変更前の駆け込み需要だけでなく、長期的にリフォーム需要が大きくなっているようです。

元来住宅と設備の寿命は異なります。現在、日本の住宅寿命は40年前後で、水廻り設備は20年程度。家を建て直す前に1回設備リフォームをする計算で、実際の感覚にも合っているようです。ちなみにアメリカの住宅寿命は100年程度。日本でもアメリカを見習って「100年住宅」が推奨されていますが、水廻りについては交換可能を前提としています。

水廻り設備は機械であり、その寿命は当然建築より短いです。つい5年前の電気製品が古くて使えないのと同じです。水廻りだけでなく、太陽光発電や床暖房も機械設備です。新製品開発のサイクルも短くなっていますので、経年による性能劣化とともに陳腐化するスピードはますます速まっていくことでしょう。

住宅に限らず建築設計では、建築と機械設備を切り離して設計することが肝要だと思います。

「地鎮」の設計

先日地鎮祭に設計者として参加した際に、神職さんご講話で「地鎮は古代ヨーロッパでも見られる考えですが、日本では土地神様だけでなくあらゆる神様をお迎えしている」とのお話がありました。思い出されたのは、古代ローマ帝国建設の背景思想であるゲニウス・ロキ(場所の守護霊)ですが、日本では土地神様以外の神様をもお迎えしているという神道の寛容さに感銘しました。

八百万(やおよろず)の神である自然と親しむ日本建築は、キリスト教建築の天上の神とつながる垂直性とは対照的に、水平な広がりで自然と一体となるのが特色です。現代建築の周囲にあるのは、もはや自然だけではなく複雑ですが、「土地の文脈を読み解いて、その土地ならではの提案をすること」が設計者としての「地鎮」であると考えています。